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4. ライヨルの村

ライヨルの村

オーブラックの"首都"というべきライヨルは、人口約900人の小さな村です。しかし、この平和で小さな村は、世界中にその名前を響かせています。ミシェル・ブラスのレストランがある場所であると同時に、ライヨル・チーズとライヨル・ナイフの伝統が生きている歴史ある場所として──。

濃厚で力強い味が特徴のライヨル・チーズは、12世紀に僧侶によって製造が始められたもので、その味と伝統は、この地の人々によって丁寧に受け継がれてきました。特に、トンムと呼ばれる熟成前の若いチーズは、オーブラックの代表的な料理であり、ミシェル・ブラスのコースの中にも取り入れられているアリゴー(トンムとじゃがいものピューレ)にも使われています。

オーブラック地方独特の建物として知られる「ビュロン」は、スレートに覆われた低い小屋で、ビュロニエと呼ばれる牛飼いたちが、放牧中の住居やチーズ作りの場として使っていたものです。

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また、世界中の一流ソムリエたちが愛用しているソムリエ・ナイフでも有名なライヨル・ナイフは、14世紀ごろから、この地方の人々が日常的に使っていたナイフが起源とされています。12歳の聖体拝領の頃に親から授かり、生涯の"友"として、またお守りとしても大切に使われていたのだそうです。

ミシェル・ブラスのレストランでも、ライヨル・ナイフがカトラリーとして使われています。そして食事を見守るかのように、コースの間も取り換えられることはなく、常にテーブルの上に置かれています。

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ライヨル人たちの誇り、ライヨル・ナイフ

ライヨル・ナイフの起源は、14世紀ごろからオーブラック地方の牛飼いたちが日常的に使用していた、「カピュシャドウ」という短刀にあります。牛飼いたちは、この短刀をベルトに引っ掛けて携帯し、木を削ったり、パンやチーズを切ったりしていました。一日の労働が終わると、それを十字架のかわりに大地に刺して、夕べの祈りを捧げていたと伝えられています。

現在のライヨル・ナイフは、19世紀初頭に、ピエール=ジャン・カルメルスというライヨルのナイフ職人によって考案されたものが原形です。当時この地には、伐採などの仕事のために、多くのカタロニア人たちが滞在していました。彼らは「ナヴァハ」と呼ばれる曲線状の折り畳み式ナイフを使っており、カルメルスは、「カピュシャドウ」の流れをくむ伝統的なライヨル・ナイフと、その「ナヴァハ」とを融合させる形で、美しく機能的なナイフを作り上げたのです。

20世紀に入ると、職人たちの手作りによるライヨル・ナイフは、大工場で量産されるナイフにおされて衰退してしまうものの、1981年には「ライヨル・ナイフ協会」が設立され、現在ではライヨル・ナイフの誇りと伝統が見事に蘇っています。

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オーブラック高原に香る、ハーブと花

オーブラックの高原は、2000種もの植物の宝庫でもあります。

特にハーブは、タイムやセージ、カモミールなどを初めとして、ヨモギやクマツヅラ、シソ科のイブキジャコウソウなど、多くの種類が見られます。カラマンというハーブは、この地では"オーブラック・ティー"とも呼ばれ、ミントのような香りを放つハーブティーとして愛されてきました。

レストラン「ミシェル・ブラス」のシンボル・マークであるシストルも、標高700メートル以上の高原にはえるハーブで、フェンネルに似たほのかな香りから、"アルプスのフェンネル"の別名を持ちます。消化をうながす効能があり、ヨーロッパでは中世から薬草として知られています。また、とてもデリケートで、清浄な高原にしか見られません。

春から夏にかけての高原に咲き乱れるのは、野ばらや水仙やパンジーなど、小さく可憐な花々です。そうした植物の中にも、食用や薬草として使われるものが少なくありません。たとえば、野ばらの実のジャムや、ニワトコの花のリキュールは、この地方の人々にとっては、とても身近なものです。また、リンドウは食欲不振や消化不良を治す効果があり、山ヒナギクは皮膚炎や外傷によく効きます。

ミシェル・ブラスは、料理に使うハーブや花を自分の手で摘みにいくことも、楽しみのひとつにしています。

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巡礼者を見守り続けた、オーブラックの人々

エルサレム、ローマと並んで、キリスト教の三大巡礼地であるスペイン北西部のサンチャゴ・デ・コンポステラ。9世紀にキリストの12使徒のひとり、聖サンチャゴの遺骸とされるものが発見されたことから、無数の敬虔な信者たちがその地への巡礼へと旅立つようになりました。中世には、年間50万もの人々がピレネー山脈を越え、サンチャゴ・デ・コンポステラを目指しました。

主な巡礼ルートのひとつには、オーブラック地方を経由するものがあります。標高1000メートルを越える高原である上に、冬には厳しい寒さの中で厚い雪が積もるこの地方は、巡礼ルートの難関でもありました。

伝説によると、12世紀の初め、巡礼に向かうフランドルのアラダール子爵が、雪嵐の中で盗賊に襲われた時、「主よ、私が助かったなら、この地に巡礼者のための家を築くとお約束します」と誓いをたてたとされています。そして、無事生還した子爵は、病院を併設したオーブラック修道院を建てたのです。

オーブラック地方の人々は、苦難の道をゆく巡礼者たちに敬意を表し、ずっと彼らを見守ってきました。オーブラック修道院は、巡礼者たちに食事や宿泊場所を提供するだけでなく、悪天候の日には昼も夜も塔の鐘を鳴らし続けて、彼らに道を示しました。

その鐘には、「神を讚え、聖職者たちのために歌い、悪魔を追い払い、迷える者たちを呼び集めよ」という文字が刻みつけられています。

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