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7. 刃物の都・関に生きる、刀匠と野鍛冶の伝統

刃物の都・関に生きる、刀匠と野鍛冶の伝統

日本最大の刃物の都、関市。美濃地方の北部に位置するこの街には、現在、600を越える刃物関連企業が存在し、市内の企業の約4割にも及んでいます。この地の刃物の都としての歴史は、13世紀、日本に武家政権が樹立された直後にまでさかのぼります。元重という希代の刀匠がこの地を訪れ、良質の焼刃土や水や松炭など、理想的な刀剣を作る様々な要素を見い出したのが、その始まりであると伝えられています。

以来数百年にわたって、関の刀匠たちは互いに競い合いながら、芸術品としても完璧な名刀を生み出してきました。

時代が下り、戦乱の世の中が遠のくと共に、関の鍛冶職人たちの仕事の中心は、"野鍛冶"、すなわち農業用品や家庭用品を作る分野へと変わっていきました。そして、あらゆる人々の生活に役立つ刃物を提供するようになります。

日本が近代国家として歩み始めた19世紀半ば以降になると、欧米のナイフやハサミなどももたらされ、関の人々は、そうした新しい製品の研究や製造も手がけるようになりました。KAIの前身となるナイフ工場が産声を上げたのも、まさにその時代のことでした。

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関の刀鍛冶 —鋼と炎に宿る名匠たちの魂

13世紀に、「刀祖」と称される元重が刀鍛冶を始めて以来、刃物の都・関の刀匠たちが生み出す刀は「折れず曲がらず良く切れる」と謳われて、多くの武将たちに愛されました。

刀匠たちは、代々、秘伝の技を踏襲しながら、"破邪顕正"(不正を破り正義を顕かにする、という意味の仏教用語)を念頭において、一刀一刀を作り出してきました。穢れを寄せ付けない白装束に身を包み、"無心"の状態で刀と対峙してきたのです。また、関の刀匠たちは、幕末までの数百年間、能や狂言の優れた演者としても名を馳せていました。

現在でも、関市には700年の伝統を受けつぐ刀匠たちが活躍しています。ある刀匠は、刀を作る上で最も大切な要素は、"炎"だと言います。炎は、刀匠にとって、鋼の状態やフイゴを吹くタイミングなど、あらゆることを教えてくれる師匠であり、友人です。そして、その炎の中に祖先の刀匠たちの精神や技が現れるのを感じるのです。

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日本刀の製作工程


1. 「たたら製鉄」 砂鉄と炭を熱して鉄のかたまりを作ります。そこでできた鋼の良質な部分だけが「玉鋼」と称され、刀の材料となります。

2. 「積み沸し」 玉鋼を熱し、3〜6ミリの厚さに打って板状にします。それを小さく割ってかたさを調べ、かたさの違うものごとに、1300度の熱で溶かして1枚の鋼にします。濡れた和紙で包んで「泥灰」をかけることで、鋼の表面と内部が均一に加熱されます。

3. 「折り返し鍛錬」 1200〜1300度に熱した鋼を、大槌でたたいては折り返していきます。この時、鋼の中の不純物がたたき出され、火花となって飛び散ります。

4. 「固め(造込み)」 さまざまなかたさの鋼を組み合わせます。関伝の特徴としては、「四方詰め」という造り込みがあります。

5. 「素延べ」 固めた鋼を熱し、小槌でたたいて刃の形にのばします。

6. 「火造り」 素延べしたものを熱し、刃になる部分と、みねになる部分の形を打ち出していきます。

7. 「荒仕上げ」 やすりなどを使って、刀に残っている凹凸を修正します。

8. 「土置き・土取り」 粘土と松炭で作った焼刃土を刀に塗り、刃の模様(刃文)を作ります。

9. 「焼き入れ」 刀全体を均一に熱した後、水に入れて一気に冷やします。焼刃土が薄く塗られている刃の部分は、温度が高いため、焼きが入ります。

10. 「荒研ぎ(鍛冶押し)」 焼き入れが済んだ刀は、そのでき具合を調べるために、刀匠自らが荒研ぎを行います。その後、茎(なかご。柄に収まる部分)を仕立てて、研ぎ師など次の技能師に渡します。

参考文献:『関市の所有刀剣』岐阜県関市

本美濃紙 —清浄な自然と技術が支える、1300年の伝統

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美濃地方で作られる和紙は、古くから最高級品として珍重されてきました。8世紀の前半には、写経用の和紙として「美濃紙」の名が見られるだけでなく、奈良の正倉院に現存する702年の日本最古の戸籍の多くが記されている和紙も、美濃地方で漉かれたものであることがわかっています。

1300年の伝統を受け継ぐ「本美濃紙」は、現在でも、化学的な染料などを一切使わず、熟練した職人たちの手によって作られています。 「本美濃紙」の製作は、天然の楮(コウゾ)の白皮を一昼夜から二昼夜ほど水槽に浸し、天然水による漂白とアク取りをすることから始まります。それを天日のもとで乾燥させてから、今度は大きな釜で煮た後、さらに天然水による漂白とアク取りを重ね、不純物や傷なども丁寧に取り除いていきます。

こうしてでき上がった原料を、5〜10ミリほどの長さの繊維に分解し、トロロアオイから摂った粘液を混ぜて漉いていきます。一般的な和紙が、上下方向にのみ漉かれるのに対し、「本美濃紙」では、縦方向と横方向の漉きを交互に組み合わせる「流し漉き」を行うため、美しく緻密な質感が出るのです。

その後、圧搾をほどこしてから、再び天日のもとで干すことで、ようやく「本美濃紙」が完成します。

天然の原料に、水と空気、そして太陽の光。「本美濃紙」の美しさの本質は、豊かで清浄な自然の恵みと、熟練した職人たちの技術と精神が織りなされていることにあるのです。

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鵜飼 —宮廷貴族や為政者たちに守られた伝統漁法

全長160キロメートルに及ぶ日本有数の清流、長良川。関市は、長良川の中流域にあたり、千年以上の昔から伝わる小瀬鵜飼の舞台でもあります。

鵜飼は、鵜匠が8〜 10匹の鵜をあやつって鮎を取らせる伝統的な漁法で、長良川では、毎年5月半ばから10月半ばの夜に行われます。清流の藻しか食べない鮎は、その身に全く臭みがないことから「香魚」と呼ばれると共に、光や音に非常に敏感な魚です。鵜飼船に乗った鵜匠は、船上のかがり火や、船をたたく音を感知して逃げる鮎を、鵜に捕まえさせるのです。

静寂が満ち、わずかにかがり火だけが照らす漆黒の川面。鵜匠の見事な手さばきと、「ホウホウ」という声に導かれ、次々と鮎をくわえて舞う鵜の姿は、幽玄な長良川の夏の風物詩のひとつです。

鵜飼の技術は、古来、宮廷貴族や為政者たちに保護され、発展してきました。宮廷では、儀式や遊びのために、専属の役人が鵜飼を行っていたとも伝えられています。

また、「魚」へんに「占」の文字が組み合わされた鮎は、その名の通り、占いとも深い関係を持っています。伝説には、4世紀に国家統一を推し進めたとされる神功皇后と鮎のエピソードも残っています。戦いを前にした皇后が、自分の着ている衣装から1本の糸を抜き取り、それを釣り糸として「戦いに勝つことができるなら、魚が釣れるように」と祈ったところ、釣り上げられたのが鮎だったとされてもいます。

現代の鵜匠たちも、平安の昔から変わらない黒装束に風折烏帽子と腰蓑をまとって鵜飼を行います。長良川の鵜飼では、技術や奥義は厳しい一子相伝によってのみ伝えられ、鵜匠たちは宮内庁に属する国家公務員としての身分も持って、その伝統を将来につなぎます。